夏と言えば甲子園!!! 和人(@seihasuruze)です。
暑い夏をより熱くする甲子園!
そんな甲子園で1992年8月16日
今からちょうど26年前に事件が起こりました。
いろいろ考えさせられる事件でもあったので書いてみます。
当時社会現象になったり世論もかなり荒れたあれです!?
事件とは?
その事件とは 第74回全国高等学校野球選手権大会の
明徳義塾高校(高知県) 対 星稜高校(石川県)の対戦中におこりました。
内容は星稜高校 4番打者 ゴジラこと松井秀喜選手を 5打席連続敬遠する
と言うもの・・・
敬遠とは故意四球とも言うのですが
・わざとボールを4球外し歩かせ塁に出す
・ピッチャーとバッターが勝負しない、打たせないようにする
と言う事ですね
松井秀喜選手は
「この試合一回もバットを振る事なく終わる」
って言う高校生野球試合ではまずない事でした
その当時の実況を聞くと解説者も怒ってるような呆れてるような そんな感じでした。
その時の解説者は?
野球の解説コメンテーターは試合中に
・高校生野球ではこんなの始めて
・勝負してほしい
・勝負するべき
と実況中に何度も言っています
3対2で勝利したので
その試合内容から 試合中も
・メガホンが球場内に投げられる(その当時の高校野球では初!今でもないかな?)
・試合中も校歌斉唱中も「帰れコール」される
という状態だったので
この騒動には解説者も驚いていました。
高校野球とは言え時間とお金を使って見に行っているので
見に行った方も様々な意見がありますよね。
すごい作戦をたてたものです。
作戦をたてた人は?
作戦をたてたのは明徳義塾高校の監督である 馬淵 史郎さんです。
実績をだされている監督ですが
松井選手は高校1年の時から通算ホームラン60本 打率4割5分
と脅威の成績で注目されていた選手だったので
試合前に偵察に行っているのですが
・「試合前の松井選手のパワーを見て腹をくくった」
・「試合前に松井君を見てうちのピッチャーの球威では難しいと思った」
・「高知県代表として負ける訳にはいかない」
・「高校球児の中に1人だけプロがいるようなものだった」
・「戦法としては間違ってなかったんじゃないかと思う」
と言われています。
敬遠を指示しなければいけない 勝てない
と思わせられたと言う事ですね。
そこまで思わせた松井選手すげ〜
高校生野球でも負ける訳にはいかない監督・・・
大変です。
日本高等学校野球連盟は?
日本高等学校野球連盟 牧野直隆会長は
・「ランナーがいない時は正面から勝負してほしかった。」
・「1年間この日のためにお互いに苦しい練習をしてきたのだから
その力を思い切りぶつけあうのが高校野球ではないか」
とコメントしています。
松井選手本人はどう思っていたのでしょう。
松井秀喜選手は?
ゴジラ松井選手の試合後でのリポーターとのやり取りの中で
リポーター
「今日振り返って1番悔しい事は?」の質問に
松井選手
「やっぱり負けた事ですかね」と答えてます。
リポーター
「勝負させてもらえなかった事は?」の質問には
松井選手
「それは相手の作戦なので 自分は何もいえません」
と答え相手の悪口を言う事なかったです。
7年後にTVではありましたが 相手ピッチャー河野和洋と会った時には
・「敵同士だったけど会えて嬉しい」
・「5回敬遠されるような価値のあるバッターじゃなかったから
5回敬遠してくれたから「伝説のバッター」になれた」
と言っています。
相手の悪口も言わず優しい人ですね
感想や気づきなど
当時のニュース、TV、新聞では
「勝負するべきだ!」「高校野球なのに」
などいろいろな意見がありましたが
立場が変われば気持ちや作戦は違うので
馬淵監督の勝つためには手段を選ばずみたいなところを
今ならわたしも理解できます。
応援してくれる地域の方やファンの人ため
優勝のためにも辛い練習に耐えてきた部員達のためにも
チームを勝利に導くのは監督の仕事です
5打席連続敬遠したら
後から叩かれるのも最初から分かっていたと思うのですが
叩かれるのをも覚悟で勝利の確率を上げる作戦をたてた監督はすごいと思います。
「負けるための作戦をたてる監督はいない」
と言われた その気持どうりです。
後日の取材で
「人を敬うからこそ敬遠なわけです」
とも言われているので 悪者だと思いません
責任や期待を背負う人は悪者になっても
守るべき者を守るため、結果をださなければいけません
監督は本当にプロだな思います。
1回くらいは勝負して欲しかったとは思いますが
この事件でより名を上げ プロになっても結果を出し続けた松井選手ってすごいな〜
と思いながら
社会人として決断すべき時は悪役になってでも
決断できる人になろう!と思いました!
この事件で何か思う事があったらぜひコメントなど下さい!
お願いします!